長岡駅前に行く用事があったので、ついでに「長岡戦災資料館」に行ってみました。場所が移ったのは知っていましたが、こんなところだったのか。
時刻は17:00前くらい。夕闇迫る中、シャッター目立つ薄暗い通りにそれはありました。
というか、以前、Niigatterを開催した「定食居酒屋つかさ」のある通りです。そういえば、前にここを通ったときに見たような、見てないような。
17:00で閉館かな?と思ったら、看板にちゃんと「午後九時〜午後六時」と書いてありました。というわけで、こういうところは苦手だという関根も連れて、ちょっと立ち寄ってみることに。
こういうのは、下手な心霊スポットなんかよりも苦手とか。かつて実際に使われていた道具のリアリティというか残留思念というか、そういうものを過剰に感じちゃうっぽいです。まあ、分からんでもないですが。
でも、この時代があって今があるのであれば、自分にはそれを受け入れる義務があるのではないかと思ったりします。
中はこんな感じ。写真だとか、当時の衣服だとかが展示されています。大画面のテレビも置いてあったのですが、上映会のようなこともするんでしょうか。
千人針。話には良く出てきますが、本物を目にしたのはもしかしたら初めてかも?糸が色あせていますが、元は真っ赤な糸だったようです。虎の絵は「虎は千里行って千里帰る」という故事に由来したもの。
ちなみに、この千人針を身につけていた方は昭和20(1945)年8月24日に出撃する予定だったそうです。本当にギリギリのところで終戦だったんですね。
1メートルほどの白布に、赤い糸で千人の人に一人一針ずつ縫って結び目をつくってもらう。兵士はこれを銃弾よけの護符として腹に巻いたり、帽子に縫いつけたりした。寅年の人は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」と言われている事に由来している。その他にも、穴の開いていない五銭硬貨や十銭硬貨を縫いこむことも行われた。これは「五銭」は「死線」を越え、「十銭」は「苦戦」を越えるという事に由来している。千人針 – Wikipedia
このほかにもB29の模型や、長岡空襲直後の長岡駅前のジオラマなどもありました。
13:00から16:00の間はボランティアの方が展示の案内をしてくれるようです。また、火・金は戦災資料館館長がいる模様。
ちょっとアレだったのは、閉館間際で忙しいんだかなんだかわかりませんが、職員がガサガサしていて、落ち着いて展示を見るような雰囲気ではなかったこと。館の奧がなにかの事務局になっているようで、電話かけたり、かかってきたり、明日だか明後日だかの予定確認してたり。
まあ、閉館間際の官公庁には行くな、ってことでFA?
長岡戦災資料館
所在地 | 新潟県長岡市城内町2-6-7 森山ビル |
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開館時間 | 9:00-18:00 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合はその翌日)、12/29-1/3 ただし、7/15-8/31は無休 |
入館料 | 無料 |